【インフレの歴史】ジンバブエ、自国通貨を捨てた国、米ドルが公式通貨に! #歴史 #世界史 #経済史 #ジンバブエ #ハイパーインフレ

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2008年、ジンバブエで年率897垓%という天文学的インフレが発生!ロバート・ムガベ大統領の独裁政権下、土地改革の失敗と無制限の紙幣印刷で経済が完全崩壊。物価は毎日2倍になる地獄が現出しました。2008年11月、物価上昇率は日率98%に到達。朝に1ドルだったパンが、夕方には2ドルに。2009年には100兆ジンバブエドル紙幣が発行されましたが、それでもパン1斤が買えませんでした。アフリカの穀倉地帯と呼ばれた豊かな国が、わずか10年でハイパーインフレの代名詞になったのです。

独立直後のジンバブエは、豊かな農業国として繁栄していました。肥沃な土地、豊富な鉱物資源、そして白人農場主による効率的な農業経営。ジンバブエは食料輸出国として、アフリカ随一の経済力を誇ったのです。1ジンバブエドルは1.5米ドルの価値があり、南部アフリカで最も強い通貨でした。タバコ、トウモロコシ、小麦の輸出でアフリカ諸国を養い、「アフリカの穀倉」と称賛されました。識字率も80%を超え、教育水準も高かったのです。しかし独裁者の野心が、この繁栄を破壊することになるのです。

2000年、ジンバブエの大統領の土地強奪が経済崩壊の引き金になってしまいました。ムガベ大統領は「植民地支配の是正」を名目に、4,500の白人農場を暴力的に接収。しかし農業技術のない退役軍人に土地を分配したため、生産は壊滅しました。2000年には年間200万トンだったトウモロコシ生産が、2008年には50万トンに激減。食料輸出国から輸入国に転落しました。白人農場主の多くは国外逃亡し、農業機械や灌漑設備は略奪され破壊されました。政治的イデオロギーが経済の基盤を破壊し、破滅への扉を開いたのです。

2003年、ジンバブエの制御不能のインフレが始まりました。農業崩壊で税収が激減し、政府は紙幣印刷で財政赤字を埋め始めました。食料不足で輸入が急増し外貨が枯渇。政府は公務員給与や軍事費を賄うため、中央銀行に紙幣印刷を命じました。これがハイパーインフレの引き金となったのです。2003年、インフレ率は年率385%に。2005年には1,281%を突破しました。パン1斤の価格は毎週上昇。人々は給料日に1ヶ月分の食料を買い込むようになりました。銀行預金は日々価値を失い貯蓄という概念が消滅しました。紙幣印刷という麻薬に手を出した政府はもう後戻りできなくなったのです。

2008年11月、インフレ率は日率98%、1日で物価が倍増しました。政府は輪転機をフル稼動させましたが商品供給は増えず物価だけが急騰。人々はお金を受け取った瞬間に使わないと数時間後には価値が半減しました。今日100ドルだったパンが、翌日には200ドルに。スーパーは毎時間値札を書き換えました。レストランでは注文時と会計時で価格が違うため、先払い制に。給料は週2回、時には毎日支給されるようになりました。お金は貯蓄する価値ではなく一刻も早く手放すべき「呪われた紙切れ」になったのです。

2009年1月、100兆ジンバブエドル紙幣が発行されましたがバス代にもなりませんでした。政府は0を追加し続け、紙幣の額面を巨大化させました。しかし印刷スピードよりインフレの方が速く、発行した瞬間に価値が消滅したのです。100兆ドル紙幣でパン3個が買える程度。翌週には1個も買えませんでした。ATMは1日の引き出し限度額が500兆ドルでしたが、それでも卵1パック分の価値しかありません。印刷コストが額面価値を上回り、紙幣は記念品として外国人観光客に売られました。世界最高額紙幣は政府の無能さを示す証明書に過ぎなかったのです。

2009年、ジンバブエ政府は自国通貨ジンバブエドルを放棄し米ドルなど外貨の使用を合法化しました。ジンバブエドルは完全に信用を失い国民は誰も受け取ろうとしませんでした。経済を機能させるため政府は屈辱的な決断を強いられたのです。2009年4月、米ドル、南アフリカランド、ユーロなど9つの外貨が公式通貨に指定されました。商店は一夜にして米ドル価格に切り替え。教師の月給は100ドル程度でしたが、物価は急速に安定しました。街角では札束のジンバブエドルが路上に捨てられる光景が見られました。独立国家が通貨主権を放棄する。これ以上の屈辱はなかったのです。

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VOICEVOX:青山龍星

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